ヤマダメモー

ゲームとかの感想やメモ置き場です

The Witnessプレイ日記(23)

 

36日目(2022/08/19(金))+8/20(土)でのまとめ

要約:詩編46篇の謎

本日は有休なので強いです。チャレンジ頑張るぞ。

513クリア +111 +1 で開始。

 

分かってることおさらい。

  1. 迷路と六角形パズル3問。
  2. ボードゲームみたいなやつ1問。六角形と迷路パズル。5の立体迷路と対応する。写真撮るとよさげ。
  3. 洞窟内に壁掛けされてる4問。どこのパネルがオンになるかランダム。迷路、六角形、テトリミノ、対象パズルが出る。
  4. 洞窟の入り口のパネル2問。3面ずつパズルが出るが、1つ以外は解けない。白黒パズル、カラフル&金平糖パズル。
  5. 立体迷路2問。2のボードと対応しており、2の六角形の場所に三角形パズル、途切れた道は壁が出てくる。出口に向けて方向が狂いやすい。
  6. 柱パズル2問以上?1問目は白黒四角形の対象パズル、2問目は六角形と対象パズル。

 

 

1回目(累計7回目)。5で死亡。3,4でつまりまくった。

2回目(累計8回目)。6で死亡。すげー順調だったのに、最後の六角形の配置がエグすぎ。あれ解けないのでは?スクショなしが悔やまれる。

3回目(累計9回目)。5で死亡。立体迷路の写真撮り忘れて迷いに迷う。

4回目(累計10回目)。5で死亡。三角形パズルでミスって戻されるとしんどい。

5回目(累計11回目)。6で死亡。最後の六角形の配置がエグすぎ。クソが!

6回目(累計12回目)。ッシャオラー!!!ギリッギリでクリアしたったぞ!

 

これで実績も全部開いた。ありがとうございます。

(Steamだと2種類しかないの寂しいし進捗感じないのひどいな。別ハードだとレーザー出す度にもらえるとか。)

 

想定通り、これで宝物庫が開いた。宝物庫の上のパズルは勝手にクリアされるのね。じゃあ洞窟の予告とかは何だったんだ・・・。

開いた宝物庫

ラストハニカム、ゲットだぜ!

 

早速再生するぞ。あ、Twitterで名前だけ見た「詩編46篇の謎」か。

詩編46の謎

強い気持ちで書き起こしたぞ(次の日に)。

諸君のうち、皆既日食を実際に観たことがある者はどのくらいいるだろう?いつの日か、月の影のただなかに立つ。それは私の、人生におけるささやかな目標の1つだ。目標達成に最も近づいたのは、30年以上前。1979年2月26日。日食が、ポートランド市の真上を通過したのだ。私はバスの切符を買い求め、観測地点も見つけておいた。だが結局、その日に仕事を抜けることができなかった。まあ、ポートランドに住む人ならこう言うだろう。2月に太陽を観測できるチャンスなど皆無に等しい、と。そうなのだ、事実あの日も、ポートランドの空は完全に雲に覆われていた。どちらにせよ、観測は無理だったろう。抜けられなかった仕事というのは、レディオシャックのカウンター業務。マサチューセッツ州ウースター、美しい郊外に建つ古びた店舗が新卒で就職した初めての職場だった。

働きはじめた、まさにその初日、配達のトラックが、店の前に停まった。運び込まれたのは大きな段ボール箱。上面の説明書きには"TRS-80"とあった。これこそ、世界初の大衆向けマイクロコンピューター。これはその店頭見本。TRS-80モデルI…Z80プロセッサを搭載し、クロック数は1.7メガヘルツ。メモリ容量は4,096バイト。白黒のディスプレイには64文字まで表示可能。使えるストレージはカセットテープのみ。「今ならたった599ドルのお値打ち価格でご購入いただけます!」私の働いていた店舗は、傾きかけていた。かつては周囲に活気あふれる商業地域が展開していたが、ニューイングランド地方の都市の御多分に漏れず70年代初頭のショッピングモールの進出により昔ながらの商業地は廃れてしまった。この問題についてウースターの人々は断固とした姿勢で対応した。より正確に言えば、断固として「長い物には巻かれよ」という姿勢を貫いた。街の中心地にブルドーザーが入り、いくつものブロックが聖地にされた。家族経営の小さな店は次々に葬られ、その中には私の曽祖父がやっていた薬局の土地も含まれていた。そうして出来たスペースに、映画館とフードコートを備えた3階建ての巨大な商業複合施設が建設された。最後まで工事を免れたのは、ほんの数ブロックほどの、うらさびれた場所だけだった。そうした場所の一画に、私の職場はあったのである。さらに、泣きっ面に蜂とはこのことであろうか。レディオシャックはそのショッピングセンター内に真新しいテナントを構えたのだ。私の店舗から、わずか150m程の距離だった。常連客も、その整然として華々しい店舗の方に移り始めた。警備もしっかりしているし、広々とした便利な駐車場もある。一方こちらは、怪しげな古いオフィスビルの中にある穴倉のような店。隣にはポルノ映画館があるときた。結果として私は、膨大な時間を持て余すようになり、例のコンピューターをいじり始めた。BASICプログラミングを独習し、Z80アセンブリ言語も習得した。当初の目的はゲーム作りだったが、ほかに、自動で再生されるアニメーションも作った。夜、店の出入り口に立小便するアル中どもを教え諭すため窓に一晩中映し出しておくのだ。だが不思議なことに、店を訪れる数少ない客はこのマシンに興味を引かれないようだった。16Kメモリへアップグレードされた後も、である。実のところ、店の表玄関を通ってブザーを鳴らす人々のうちほとんどは、何か買いたい物があって来ているのではなかった。これは40年以上も、我々従業員の悩みの種になっていたが、彼らは「バッテリー月例会員(Battery of the Month Club)」の一員として、無料サービスを受けに来ているだけだったのだ。バッテリー月例会員のアイディアはシンプルだ。客はマス目の印刷された小さな赤いカードを買い、月に1回、レディオシャックの店舗を訪れる。運の悪い店員だと年に12回も、マス目をパンチアウトして新品の電池を客に渡さなければならなかった。単4、単3、単2、単1、あるいは9ボルトバッテリー。もちろん客は電池のグレードを自由に選べるわけではない。私が働いていた時分、配布する電池の性能には3つのレベルがあった。まず、パワフルで長持ちするが、買えば高くつくアルカリ電池。それらは緊迫で型押ししたプラスチックのケースに入っており、処方薬のように、カウンターの裏側に吊り下げてあった。はっきり言ってしまえば、バッテリー月例会員にはまず渡さない商品だった。次に、高性能な鉛蓄電池。これまた長く持ち、信頼できるバッテリーで、価格はそこそこ。いかにも「これが貰えますよ」というように店の表に展示してあったが、まず渡さない商品だった。最後に残るはスタンダードな鉛蓄電池。店頭からは見えない、裏手にこっそり置かれた樽の中にそれは乱雑に放り込まれていた。TVアンテナが並ぶ角の暗い場所だった。TVアンテナ…は死語かもしれないが。月一の無料電池を貰いに来た客は、店の中をぐるっと回ってそこまで行かなければならなかった。途中にあるCB無線やステレオヘッドホン、あるいはリモコン式のレーシングカー。いずれも客の興味を引くものではない。小さな赤いカードをちらつかせた客がやって来るのは毎月1日の恒例行事のようになっていた。そのたびにプログラミングの手を止め店の奥に案内する。カード料金である29セントの価値があるかすら怪しい電池で、しかもその大半は半分切れかかっていたが、いずれもたいした問題ではなかった。客はとにかく来店し、無料で何か貰えればいいのだ。私の覚えている限り、ついでに何か買って行った客はひとりもいない。私は営業下手な店員だった。若くて、頭の回転も鈍かった。ゲーム設計の勉強はキーボードを叩いていれば十分だと思い込み、正面からやってくる教訓を見逃すところだった。幸運なことに、その時代、マイクロコンピューターでゲームに夢中になっていたのは私ひとりではなかった。同じような人間が、国のあちこちで新しいものを作ろうとしていたのである。例えばスコット・アダムスが書いていたコードは、ほどなく世界に初めて市販されるアドベンチャーゲームとなった。今となっては懐かしい話だ。後に私が転職するInfocomも創業された。今や伝説的な企業である。On-Line Systemsや、Sirius、Personal Software、SSIもこの時期にできた。10代の若者が大金を稼ぎ出すエキサイティングな時代だったのだ。ゲーム作りは簡単で元でもさほどかからない。全員に平等なチャンスが与えられていた。だが1979年、ゲーム業界最大のニュースは、コンピューターとは無関係だった。

秋分の日も近づいた9月20日の朝、新感覚の子供向け絵本が、イギリスの店々に登場した。それは非常に風変わりな絵本だった。細やかに描きこまれた15のカラー図版が紡ぐ、月に宝石を届けるウサギにまつわる短く奇妙な物語。裏表紙には本物の宝石で形作られた走るウサギのカラー写真が載っていた。その大きさは13cmほどで、18カラットの金があしらわれ、ブルークオーツの太陽と月など、種々の飾りつけと共にぶら下げられていた。写真下の宣伝文にはこうあった。「このウサギが、イングランドのどこかに埋まっています」本の文章と挿絵を注意深く読み解くとその場所の手掛かりが得られる仕組みだった。タカラは、誰であれ最初に発見した人のものになる。「仮面舞踏会」と題されたこの絵本は、発想力と茶目っ気に溢れた風変わりな職人キット・ウィリアムズによって生み出されたものだ。数日のうちに初版が売り切れた。イギリス中がこのウサギに夢中になった。読者は定規とコンパス、分度器を持ち張り切って絵の謎に挑んだ。手がかりを調査する雑誌の特集やテレビの特番が阻まれ、伝説を垂れ流しては視聴者を浮足立たせた。熱狂的なマニアの向こう見ずな行為も散見された。たまたま「ウサギの丘(Rabbit Hill)」という二つ名を持っていたそれまで無名だった公園は、勘違いした読者の堀った穴でボコボコになった。そのため著者らは「ここに宝のウサギはありません」という看板を公園に立てなければならなかった。執着しすぎたハンターの中には心療内科でカウンセリングを受ける羽目になった者もいる。ウサギフィーバーは大西洋を渡り、アメリカ、フランス、イタリア、ドイツをも席巻していった。数か月のうちに発行部数は百万を超え、児童書としては「ハリー・ポッター」が登場するまで他に並ぶもののない記録を打ち立てた。外国向けの翻訳版も15万部以上販売された。例えば日本語版では8万部…英語で読まなければ解けない謎であったにも関わらずだ。実際に「仮面舞踏会」の宝の価値が何千ドルであるかはたいした問題ではなかった。多くのハンターが何か月もかけて謎解きに挑み、時には実際に旅をした。そのコストは、とうに宝の値段を上回っていたであろう。人々が求めていたのは、追跡のスリル。自分が、世界でたったひとりの発見者になるという可能性。宝さがしやシークレットメッセージの解読、隠された謎といったものは、得てして抗いがたい魅力を帯びる。追及することはもちろん、話のネタとしても面白い。こうした人間の心理は、コンピューターゲームでは当初から利用されていた。いわゆる「イースターエッグ」と呼ばれる秘密の仕掛けだ。Atari社のスティーブン・ライトが、この用語を作った人物として雑誌"Electronic Games"第1号に掲載されている。大衆向けのコンピューターゲームとして初めてのイースターエッグは、初期のAtari 2600で動作する「アドベンチャー」という何ともシンプルな名称のゲームに埋め込まれた。プレイヤーは、普通では考えられないような動きや分かりにくい操作を積み重ねてようやく隠し部屋にたどり着ける。そこには"Created by Warren Robinet(ワーレン・ロビネット作)"という文字が光っているだけなのだが、イースターエッグと、それを見つけるためのチートコードは、何十年もの間、ごく狭い領域内の産業として発展してきた。今やどの雑誌もWebサイトも綿密に練り上げられたサプライズとその宣伝(discovery and dissemination)に利用されている。このような言い回しは、コンピューターゲームを設計する際に使われる基本的な語彙の範疇で、ツールキットの一部とさえ言える。

イースターエッグという呼び名を作ったのは確かにコンピューターゲーム業界かもしれないが、作品に秘密の暗号を埋め込んだりすることは、画家や作曲家、その他あらゆる領域の芸術家達によって何世紀も前から行われていた。一時停止機能を持ったビデオデッキや、レーザーディスク再生装置によって、数十年もの間隠されていたディズニー映画の官能的表現が暴かれたように、自らを「光の画家」と称したトーマス・キンケードは、Nという文字を作品に隠すことを好んだ。署名の脇に書かれた数字が、その絵の中に何個のNがあるか示しているのだ。ピカソ、ダリ、ラファエロプッサン、その他大勢の画家達が数々の秘密をその絵にはらませている。群衆を描く際、その中に自画像や家族、友人、同僚の似顔絵を紛れ込ませるのは、好まれた手法のひとつだ。犬が大好きだったエル・グレコに、カトリック教会は「宗教画には犬を入れるな」と命じたが、彼はそれを、天国の雲の輪郭などに紛れ込ませて描いた。ドミートリイ・ショスタコーヴィチは、ソ連文化省による政治的検閲の下で苦悩した作曲家だが、彼の交響曲室内楽には、反体制的な主張や意味合いが密かに込められていた。当時発見されていたらシベリア送りだっただろう。モーツァルトのオペラ「魔笛」も、古くからある秘密結社で、モーツァルト自身や師であるハイドンが属していたフリーメイソンの儀式に関する示唆に富んだ作品だ。しかしイースターエッグの最も有名な使い手といえば、後期バロック音楽の大家にして究極の音楽マニア、ヨハン・セバスチャン・バッハだろう。バッハはゲマトリアの研究家であった。ゲマトリアとは、A=1、B=2、C=3のように、アルファベットに数字を対応させる技法のことだ。数字の対比や配列といった操作によって、秘密のメッセージを埋め込むことができるのだ。バッハは、数字の14と41を特に好んだ。ゲマトリア的に言えば、B=2、A=1、C=3、H=8で、14は彼の名前の合計値である。41は"J.S.Bach"の合計値だ。バッハの作品には、この2つの数字が繰り返し出現する。よく知られた例の1つが、コラール「汝の御座の前に、われ進み出で」である。メロディの1行目はきっちり14音。最初から最後まで数えると、全体で41音のメロディになっている。もう1つ、バッハの好んだ「遊び」はパズルカノンだ。まずカノンというのは、1つの完成された旋律を少しずつずらしながら重ねた演奏する様式のことで、元はフランス民謡の「グーチョキパーで何つくろう」や、マザーグースの「漕げ漕げお舟」などを多くの人に親しまれる、二声のカノンのシンプルな例である。もちろんカノンは二声に限らないし、各声部を同じように演奏する必要もない。何オクターブか上下させたり、調やピッチを変えたり、楽譜を後ろから演奏したり、またこれらを組み合わせて用いても良い。重ねた時に美しく響くメロディーを見つけるのは容易いことではないが、バッハがその達人であることは誰しも認めるところだ。そしてパズルカノンでは、作曲者は、基本のメロディーと声部の数を指定するが、それらの重ね方については言及しない。各声部の調や始めの音の見当をつけ反転、すなわち逆から演奏すべきかどうか考えるのは、「パズル」の解き手に一任されているのだ。バッハは数多くのパズルカノンを遺した。最も有名なBWV1076を含むカノンシリーズには、次のような面白いエピソードもある。バッハ研究者のひとりであるローレンツ・ミツラーは、音楽科学文書交流協会の創設者でもあった。これはエリート向けの招待制の研究会でピタゴラス学派の哲学の研究、および数学と音楽の融合を旨とし、ドイツの主要な音楽家達はあらかた所属していた。ヘンデルテレマン、そしてなんとモーツァルトまで。入会を申請するには、油絵による自分の肖像画と新しく書き下ろした音楽作品が必要だった。後に協会員番号14を取得する某氏は、ここぞとばかりにオタク心を発揮し、これらの入会要項をひとつながりの「作品」に仕立てようと目論んだ。彼はドレスデンの宮廷画家であったエリアス・ハウスマンに肖像画を依頼した。この絵は現在ライプツィヒ市役所のギャラリーに飾られているが、現存するバッハの写実的肖像画としては唯一のものとされている。そこにはフォーマルなコートを羽織ったバッハが描かれているが、コートのボタンの数はピッタリ14個であり、右手に持った楽譜には6声のためのパズルカノンが記されている。そして1974年、バッハの私蔵本が発見され、このカノンはあの「ゴルトベルク変奏曲」の主題に基づく、これまた14曲のカノンシリーズの13番目であることが明らかになった。この程度では飽き足らない、とでも言うかのようにバッハは好んで作品中にメッセージを隠し入れた。例の、音を文字に関連付ける手法だ。彼の名前であるB-A-C-Hは、ドイツ式の音名表記に則るとBフラット、A、C、Bナチュラル、という音の並びに置き換えられる。この主題が登場する部分としては、彼の遺作であり、1750年の死後まもなく発表された「フーガの技法」の最後の数小節が最も印象的であろう。フーガ(fugua)という単語はラテン語のfugaから来ているが、これは遁走(逃走)という意味を持つ。したがって「フーガの技法」は「遁走の技法」でもあり、この主題と共に走り抜ける技法、とも読めるのだ。バッハは何百曲ものフーガを遺したが、この14曲に匹敵する崇高さを持つものは他にない。一連の作品中、最後のフーガは最も難解である。最初の主唱と次の応唱は通常通り展開するのだが、続いてあのB-A-C-Hが来たと思った途端、何の予兆もなく、そこで曲が突然終わってしまうという型破りな構造を持つ。彼には20人の子供がいたが、その中のひとりであるカール・フィリップ・エマヌエルは、バッハはその数小節を書いた直後に絶命したのだと述べている。事実にしてはできすぎている話だが、バッハのイースターエッグは、主にバロック音楽を学ぶ者や教える者達に限って知られるひそやかな楽しみであったが、2002年3月、これに関する講演が初めて行われると、バッハのイースターエッグクラシック音楽界全体の話題の的となり、その月のクラシック音楽売上チャートの上位にはECMレーベルの"Morimur"というCDがランクインした。これはヒリヤード・アンサンブルの合唱に、才気あふれるバイオリニストでありながら当時はまだ無名だったクリストフ・ポッペンの演奏がコラボしたものである。"Morimur"に収録された音楽は、バッハ作「無伴奏バイオリンのためのニ短調パルティータ」のゲマトリア的分析に基づいている。分析はドイツの大学教授ヘルガ・テーネによって行われ、様々な要素が数値と関連付けられた音価、小節数、パルティータのドイツ語音名による記譜。そうする中で教授は、音の中にいくつかの典礼に関する完全なテキストが埋め込まれていることを発見したらしい。CDの音楽は、オリジナルの曲の上にその隠されたテキストを重ねる形で収録された。結果としてその曲には不思議な哀愁が漂い、陰うつだが妙に印象に残るものとなり、大変な人気を博した。だが音楽批評家からは少なからぬ批判を受けた。テーネ教授の分析は受け入れられず「数秘術」を使ったせこいマーケティングにすぎないとされた。こうした批評にも、根拠がないわけではない。数秘術は実に怪しげな魅力を持ち、それまでに何人もの良識人を破滅へ導いていた。面白い逸話をひとつ。私の経験からお話しさせていただこう。

あれは90年代初頭、インターネットもなかった頃別の通信技術を使ったオンライン掲示板システムが人気を集めており、Prodigyはその中の1つだった。私はProdigyのアカウントを買い、興味のあるグループに参加したり国のあちこちに住むメンバーと噂話を楽しんだりしていた。ある日、新規のメンバーが私達の掲示板に現れた。すぐさま私は、これは困ったことになる、と直感した。そいつはGaryと名乗り、ナンセンスな黙示録的主張をまくし立て始めた。世界的な陰謀がどうの、秘密結社がどうの、悪魔崇拝が云々…。はじめ、私達は丁寧に応対しようとした。彼にその説の出典を尋ねたり、彼の歴史観を修正したり、論理的に反証したり、教養のある大人の対応を心掛けた。だが彼はおとなしくなるどころか、私達の注目を集めてますます調子に乗った。彼の「これは陰謀だ!」という書き込みはますます緊迫性を帯び、ほとんどヒステリーに近かった。自分に賛成しないメンバーへの脅迫も行い始めた。強調のため、投稿に大文字を多用することになった。だが彼が声高に主張した警告は、同性愛者やユダヤ人、ロックフェラーやイルミナティとは無関係だった。Garyによると、人類最大の敵は、サンタクロース。反キリストの化身らしい。Garyは、様々な異論をものともしない「証拠」…秘密の数式を自分は握っているのだと言い放った。つい興味をそそられ、私達はその式を明かすよう、Garyに迫った。ついに彼の罠に向かって歩き出してしまったわけである。彼が自分の書いた本を売りつけるつもりだとは思ってもみなかった。罠にかかった。私は15ドルを彼に送った。1週間もしないうちに、その本は届いた。ワシントン記念塔を撮った不気味な写真の真上に本書のタイトルがくっきりと刻まれている…「666: 最終警告!」。494ページにも及ぶ自費出版本の中でGaryが明らかにしていたのは、単純なゲマトリアの式だった。彼によると、古代シュメール人によって編まれた式らしい。この式では、アルファベットの各文字に6の倍数を当てていく。A=6、B=12、C=18、などだ。これを「サンタクロース(Santa Claus)」に当てはめた時の私の驚愕をご想像いただけるだろうか。数字を全部足すと666、聖書にある獣の数字になったのだ!私はProdigyに行き茫然としているグループメンバーに「Garyの言うこともまあ、一理あるよ」と伝えた。古代シュメールの英知によれば、サンタクロースは反キリストであることに一遍の疑問を挟む余地はない。そこで私が次にしたことは、Garyの式に当てはめた時、合計が666となる単語をどんどん挙げていくことだった。「セントジェームズ(Saint James)」、「ニューヨーク(New York)」、「ニューメキシコ(New Mexico)」…。すぐに掲示板は、皆の「発見」でいっぱいになった。「コンピューター(computer)」に「ボストン茶(Boston tea)」…「カラオケに行く(sing karaoke)」などはさすがに悪ふざけが過ぎたのだろうか、Garyはほどなく姿を消した。まあ15ドルの価値はある体験だった。だがもちろん、秘密のコードを聖書と関連付けたのはGaryが初めてではないだろう。それどころか人類は、何百年にもわたって聖書にイースターエッグを探してきた。ゲマトリアの手法を適用すればモーセ五書、すなわち旧約聖書の初めの5書においてヘブライ語によるカバラ神秘主義的な教えだって見いだせるだろう。コンピュータが登場して数秘術を聖書に当てはめる試みはますます加速し、効率的になった。最近行われている聖書に関する数々の探索には、元「ウォール・ストリート・ジャーナル」記者のマイケル・ドロズニンが1998年に出版した書籍が多大な影響を与えている。「聖書の暗号」と題されたその本では、「スキップコード」という手法を採用している。ある文書を決められた文字数だけ飛ばして読めば、ひとつのメッセージになるというものだ。ドロズニンの主張によると、この解読法を旧約聖書ヘブライ語原典に当てはめたところ、第2次世界大戦をはじめ、ホロコースト、広島への原爆投下、イツハク・ラビンとケネディ兄弟の暗殺、月面着陸、ウォーターゲート事件オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件、ビル・クリントンの当選、ダイアナ公妃の死、そして、木製への彗星衝突が予言されていたという事だった。その他にも彼は、終末の10年の間にロサンゼルスで巨大地震が発生し、地球に隕石が衝突し、核兵器による大戦が勃発するとの予言を見い出している。「聖書の暗号」は何週間もベストセラー入りし、いくつもの続編や模倣本を生み出した。

聖書は確かに、巷にいるちょっとおかしな層の人達を魅了してきた。だが筋金入りのエッグハンターにとっては、「あの話」ほど創意工夫に富み、粘り強く研究が重ねられ頑固なまでの熱情で探究者を惹きつけてきたものも無いだろう。それは、文学史上最大の謎。これまでに多くの資金が投じられ、健全で聡明な文学者達にキャリアを投げうたせ、狂気の一線を超えさせた、中毒性有りとも言えるほどの難題。「シェイクスピア別人説」である。この謎に関しては、大きな図書館がいっぱいになるほど多くの論文や本が書かれた。この件の記述ばかりを集めた図書館も複数存在するのだ。この複雑怪奇かつ危険なほど興味がかき立てられる話については、ほんの1時間弱の講演を聞くだけで軽くお腹いっぱいになるだろう。シェイクスピア別人説を知らないという方のために、要点を数段落ほどにまとめてみよう。実はシェイクスピア個人について、確実に分かっている事柄と言うのはコースターの裏にでも走り書きできる程度の量しかないのだ。ウィリアム・シェイクスピアという名の男が1564年、ストラトフォード=アポン=エイボン付近で生まれたことはご存知だろう。彼は妻をめとり、少なくとも3人の子供をもうけた。ストラトフォードに土地を買い、近しい人々の裁判沙汰にちょいちょい巻き込まれ1616年、52歳で没した。そのような人生を送る男がいた一方、ロンドンの劇団に、シェイクスピアとか何とかいう男がいて俳優業をつとめており、やがて複数の劇団の共同経営者にまで上り詰めた。さらにまた同じ頃、シェイクスピアという名前で数々の素晴らしい詩と戯曲が書かれロンドンで上演されていた。問題は本当に、ストラトフォードのあの地主と似た名前を持つロンドンのあの俳優は、同一人物なのかどうか、ということだ。問題は本当にあの詩や戯曲を本当に自分(達)で書き上げたのだろうか。私達が知っている事実は、あの詩や戯曲が、捜索時から400年を経て西洋文化の金字塔と目されるに至ったということだけである。シェイクスピアの手によるとされる作品は、神話や古典文学、遊戯や運動、戦争やそこで使われる武器、船と航海法、法律と法律用語、宮廷でのマナー、政治的手腕、園芸学、音楽、天文学、医学、タカ狩り、そしてもちろん演劇と、ありとあらゆる事について造詣の深い男性、あるいは女性でなければ書くことができなかったであろう。そこが問題なのだ。住民の大部分が読み書きすらできない辺鄙な村で農家の息子として生まれ、高等な教育を受けたわけでもなく、実質まったく取るに足りない男であったような人物がなぜ、溢れんばかりの訴求力とウィット、深大なる英知と人間理解をもって百科事典のごとき知識を巧みに操れたのか?はじめの150年間は、誰も疑問に思わなかった。詩人の個人史は、伝承のまま鵜呑みにされていた。そして18世紀後期、ストラトフォードからほんの数km離れた場所に住んでいた名高い研究家であるジェームズ・ウィルモット牧師がこの著名な劇作家の伝記を書こうと決意した。ウィルモット博士は、シェイクスピアのように教養豊かな人なら広大な書庫を持っているに違いないと思い込んでいた。だがシェイクスピアの遺書では、本や原稿に関する言及は1冊たりとも行われていない。何年もの間、博士は蔵書の一部は地元の図書館などに寄贈されたのだと考えていた。この実直な博士は、イギリスの田舎地方を訪ね回った。ストラトフォードから半径約80km内にあるすべての図書館の全図書を調べ上げたが、ウィリアム・シェイクスピアの書庫から寄付されたような本は1冊もなかった。それどころかシェイクスピアの書いた、あるいはシェイクスピアについて書かれた書簡すら見つからなかったのである。ここで1つ付け加えておくと、シェイクスピアの作品にはストラトフォード地方の民話をにおわせる記述、あるいはその地方特有の言い習わしや方言などはまったく登場しない。苦心惨憺たる研究を4年続けた後、ウィルモット博士は失意のうちに結論付けた。ストラトフォードのシェイクスピアと同時代に生き、あのような詩と戯曲を生み出すだけの幅広い知識と傑出した才能をあわせ持つ人物はひとりしかいない、と。それはマルチリンガルな作家であり、哲学者、政治的指導者でもあり、経験哲学の祖。エリザベス女王とジェームス王のもとで大法官も務めたフランシス・ベーコン卿その人であった。

ウィルモット博士はあえて、この説を公にはしなかったが、息を引き取る前、友人のジェームズ・コーウェルにこっそり打ち明けていた。そしてジェームズ・コーウェルは1805年、イプスウィッチ哲学学会の会合でこれを発言した。案の定学会員達は怒り狂い、このスキャンダラスな議題は無かったことにされた。だが1857年、ストラトフォードの(と言っても米国コネティカット州ストラトフォードの)女性が"Philosophy of the Plays of Shakespeare Unfolded(シェイクスピア劇の哲学を紐解く)"と題する本を出版した。本書の中で、著者であるデリア・ベーコン女史は(ベーコンと言っても先述のフランシス・ベーコンとは無関係)、シェイクスピアの作品は密かに集まったイギリス人貴族達によって書かれたものだと主張した。例えばサー・ウォルター・ローリー、サー・フィリップ・シドニー、そしてもちろん、フランシス・ベーコン卿である。デリア・ベーコンの本は、文学界を震撼させた。シェイクスピアの出自あるいは正体を巡り、「ストラトフォード派」と「ベーコン派」が対立した。証拠を議論するための文学会や学術誌が複数誕生し、何百部もの小冊子、新聞記事、そして論文が書かれ、身分の保障された学者にありがちな、自分本位の攻撃で自らの支持する側を擁護し、反対者の愚かしさをまくし立てた。議論の的となった自著を携え、デリア・ベーコンはストラトフォード=アポン=エイボンまで旅をした。そしてなんと、シェイクスピアの墓を開けて良いという、公式の許可を取り付けたのである。しかし、墓石を持ち上げようというまさにその時、デリアの自己疑念が、致命的な神経衰弱を引き起こした。後に彼女は精神病院で、一文無しの状態でその生涯を閉じることになる。1888年、事態は思わぬ方向へ進み始める。アメリカ下院議員であった、ミネソタ州のイグナティウス・ドネリーがシェイクスピア論争に興味を持ったのだ。ある日、1623年に出版された「ファースト・フォリオ」の複写に彼が目を通していたところ、歴史劇の53ページ目、そして喜劇の53ページ目に「ベーコン(bacon)」という単語があるのに気がついた。彼はまた、フランシス・ベーコン卿は暗号作成法に関してかなりの文章を書いていることに注目した。ドネリーは、早速「解読」に取り掛かった。行を数え、ページを数え、文字を足したり引いたり、文に線を引いては、単語を丸で囲み、あるいは斜線で消す。浮かび上がってきたのは複雑で、実質理解不能アルゴリズム。彼はそれを、「ファースト・フォリオ」に秘密のメッセージを埋め込むためベーコンが発明した手法なのだと主張した。西洋文明の歴史において最高峰のイースターエッグハントが始まった。

少しばかり、ややおかしなエピソードをご紹介しよう。デトロイトに住んでいたオービル・オーウェン医師は、"Wheel of Fortune(運命の紡ぎ車)"と名付けた奇妙な研究ツールを開発した。それは幅61cm、長さ305mほどのキャンバス生地を2本の巨大な木製リールに巻き付けたものだった。生地の上に彼は、ベーコン、シェイクスピア、マーロウ、グリーン、ピール、スペンサーらの全集から抜き出したページを一枚一枚バートンの"Anatomy of Melancholy(憂鬱の解剖)"と共に糊付けしていった。それからリールを左右に回すことでページ間を素早く参照でき、手がかりや相互言及を見つけやすくなるというわけだ。彼は秘書と速記者を多数雇い、エリザベス女王時代のイングランドのもう1つの歴史、そして複数の新しいシェイクスピア劇とソネットを完全に明らかにしたと宣言した。隠された詩に耳を傾けてみよう。この詩はシェイクスピア自身が書いたと思われ、オーウェン医師に「運命の紡ぎ車」の着想を与えた一篇でもある。ナイフを手に取り、すべての本をバラバラにせよ。一葉一葉、大きく頑丈な紡ぎ車に貼り付けよ。紡ぎ車は回る、回る。移り気な回転が投げかける運命をその目でしかと見よ。女神が隠していた運命、丸い石の上に立ちのぼり、ゆらめき、気まぐれに回る。たゆまぬ変化を生み出しながら。…と、いうような駄作を分厚い本にして第5巻まで出した後、オーウェンは「チェプストー城近くのワイ川にベーコンのオリジナル原稿が埋められている」と読めるアナグラムを発見した、と発表した。彼はボートで作業する人員を雇い、15年の歳月と何千ドルもの資金を費やし爆薬まで使ってその場所の川床を掘削したが、死ぬまで何も見つけられませんでしたとさ。アレンズバーグという男にいたっては、ベーコンの母親の墓にある「怪しげな」ひびの特徴を分析しそれに基づく本まで書いた。多少まともな取り組みが始まったのは、1957年のこと。暗号分野になじみがある読者にとっては、ウィリアム・フリードマンという名はほとんど説明不要だろう。第二次世界大戦中、大佐であったフリードマンは米軍の暗号解析局の長を務めていた。彼は、日本帝国の総統に精度の高い軍事暗号を解読したことで知られていた。戦後、大佐はこの専門技術を、シェイクスピアの暗号研究に応用してみようと思い立った。この分野の専門家に何人か話を聞き、より詳細で科学的な分析をしようと準備した。この話は、彼の著書"The Shakespeare Ciphers Examined(シェイクスピアの暗号を検証する)"に載っている。どれほどの成果があったのかって?一言で言えば、皆無だ。標準的な暗号科学では、シェイクスピア作品の中から一応「見つかった」とされていたメッセージの中のただ1つすら浮かび上がってこなかった。そうしたメッセージをテキストから抽出する際に適用されたルールと言うのは、そう厳密でなく多分に主観的で、解読した本人以外には再現できないようなものだったのだ。以前の解読者達が意図的にズルをしたと言っているのではない。彼らはまあ、自分の予想する方へ、言うなれば導かれてしまっただけなのだ。妄想の迷宮に迷い込み、混沌の中から秩序を見い出さんとする作業の中で、諸君は「フリードマンの結果は残念だったけれど、それを理路整然と発表すれば解読者気取りの変人達を一度に黙らせられるんじゃないか」なんて思っているだろう。甘いな、書籍にテレビ特番、Webサイト、会合や博士論文が、続々と世に出てきている。忘れてはならないのは「シェイクスピア別人説」は何も奇人変人のお遊びで出てきた説じゃないということだ。相当数のまともな作家、そしてシェイクスピア研究者が戯曲の出自に対して真剣に疑義を呈している。ナサニエル・ホーソーンラルフ・ワルド・エマーソンウォルト・ホイットマンヘンリー・ジェイムズマーク・トウェインジークムント・フロイトオーソン・ウェルズ、そしてジョン・ギールグッドといった、そうそうたるメンバーである。存命中の懐疑派としては、シェイクスピア・グローブ座のアートディレクターであるマーク・ライランスマイケル・ヨークデレク・ジャコビケネス・ブラナーらが名を連ね、また現代のシェイクスピア俳優として最も尊敬され、理知的な頭脳を持つキアヌ・リーブスまでも懐疑的な見方をとっている。現在最も「シェイクスピアだったのでは」と言われているのは、エドワード・ド・ヴィアーだ。第17代のオックスフォード伯爵であるが、これは1920年イングランド人教師のJ・トーマス・ルーニーが唱えた説だ。しかしどうしてバッハや聖書、シェイクスピアの作品がこれほどまでに熱心に研究されるテーマとなるのだろう?チョーサーやキーツの詩に暗号を探す人は誰もいない。ワーグナーやベートーベンの曲で、秘密のメッセージを合唱に乗せてヒットしたCDもない。その疑問に答える前に、我々は聖書やシェイクスピアが担っていた西洋文化の発展における独特の役割を認識しなければならない。ジェームズ1世の後押しを受け、1611年に出版された聖書の翻訳本ほど現在の英語に影響を与えている文学作品は1つとしてない。ジェームズ王聖書は、傑作という言葉の意味を体現してみせた。それは英語による散文の、最も気高い不朽の業績。まさに英語における最高峰の功績と呼ばれてきた。詩人に、劇作家に、音楽家に、そして政治家や演説者に何世代にもわたってインスピレーションを与え続けてきた。どんな家にも聖書だけは1冊あり、数えきれないほどの人々が、そこに書かれたフレーズを繰り返し読んで学んだ。我々の憲法や法律文も、その律動や修辞表現に大いなる影響を受けている。しかし46人もの編集者が携わったジェームズ王聖書のその永きに渡る栄光もエイボンの白鳥(=シェイクスピア)が放ったまばゆいばかりの作品群の前ではかすんでしまう。シェイクスピアの作品から生まれた語彙は15,000語を下らず、これはジェームズ王聖書のそれと比べて3倍、そして彼に最も近いライバルであったジョン・ミルトンの2倍である。彼の詩や戯曲は、辞書や類語辞典を引きながら書かれたものではないのだ。そもそもその当時、辞書の類は存在していなかった。すべては彼の頭脳から生み出されたのだ。エリザベス女王時代の英語では表現しきれない着想を得た時、シェイクスピアは、言葉を創った。オックスフォード英語辞典は、この詩人が作品の中で捜索した何百もの基礎的な単語やフレーズをリストにしている。Addiction(依存/中毒/熱中)、Alligator(アリゲータ/アメリカワニ)、Assasination(暗殺)、Bedroom(ベッドルーム/寝室)、Critic(批評家/評論家)、Dawn(夜明け/幕開け)、Design(デザイン/設計)、Dialogue(対話/会話)、Employer(雇用主/雇い主)、Film(フィルム/薄膜)、Glow(ふわっとした光/柔らかく輝く)、Goomy(薄暗い/憂鬱な)、Gossip(ゴシップ/噂話)、Hint(ヒント/手がかり)、Hurry(急ぐ/慌てる)、Investment(投資/出資)、Lonely(寂しい/孤独な)、Luggage(旅行かばん/手荷物)、Manager(マネージャー/経営者)、Switch(スイッチ/切り替える)、Torture(拷問/苦悩)、Transcendence(超越)、Wormhole(虫食い穴)、Zany(道化師/ひょうきん者)。ハムレットだけでもこれら40近くの新語を含んでいるのである。驚きを通り越して呆れすら覚える。このような大発明をする人間が、現代社会に存在するだろうか?彼に匹敵する造語能力を持った英語の書き手と言えばやはりひとりしか思い浮かばない…フランシス・ベーコン卿だ。近代であれば、チャールズ・ドジソンが候補に上がるだろう。「ルイス・キャロル」のペンネームで知られ、シェイクスピアの次にあちこちで引用される英語の名文を生み出した人物である。

誰もが、ジェームズ王聖書とシェイクスピアの造った型に多大なる影響を受けている。好むと好まざるとにかかわらず、これらの偉大な作品群は、私達皆が世界を見る時の眼鏡であり、近代英語の思想を紐解く際の一次資料となる文書であり、私達の知性のスタイルガイドなのだ。これら雄弁なる英知という宝石の輝きを見つめていると、ある特殊な感情が湧き上がってくる。人生をひっくり返されてしまうかもしれない類い稀なる力強い熱情。家族をも顧みず、キャリアも評価も投げうって、持てる物をすべて捧げ、心のままに進んでいく、そこに疑問の余地はない。感嘆と恐怖の甘美なる融合。魂まで痺れるような抗いがたき魅力。畏怖、畏敬とも表現されるこの感情は、芸術が目指す究極のゴールだ。ヒトが持てる感情のうち、畏怖ほど生々しく、力強く、変革の可能性を秘めているものはない。他人に畏怖の念を抱かせることは、他のどの感情より困難で、それを達成しているような作品は、人の手によるものの中には、ほんのわずかしか存在しない。畏敬の念に襲われたからこそ、とあるユダヤ教の律法学者は一生を費やしモーセ五書からヤハウェ(旧約聖書における神の呼び名)を見つけ出した。ギザのピラミッド、グアダルーペ、メッカを毎年訪れる何百万人という人々の原動力となっているのも、哀れなデリア・ベーコンが破滅に追い込まれた原因も、すべて畏敬の想いだ。おっと「畏怖されるほど素晴らしいゲームを設計するにはイースターエッグを埋め込めばいいのか」なんて考えて、続きを聴くのを止めないでくれよ!平凡なゲームに不自然なイースターエッグを放り込み、チートコードを流したところで、プレイヤーにバッテリー月例会員と同じ思いをさせるだけだ。欲しいものを手に入れるために、店の裏手までとぼとぼ歩かせることになる。超能力が欲しいなら、ゲームの中でぐらい、自由に使わせてあげればいい。私達の想像力は、小手先のマーケティングに頼らなければプレイヤーの興味をゲームに留めておけないほど貧弱なのか?畏怖されるほど素晴らしいものは、おまけの力などに頼らない。畏怖されるほど素晴らしいものは、豊かで人を喜びに沸かせる。それが肝心なことなのだ。

ある日の午後、私はあの古びたレディオシャックのカウンターにひとり座っていた。上司は諸用で出かけていた。年配の婦人がひとり、正面ドアからやって来た。おそらく限られえた収入しかないのであろう。うちに来る客の大半と同じく、彼女は貧相な身なりをしていた。バッテリー月例会員か、と私は思った。だが彼女は赤いカードでなく、ポータブルラジオをカウンターに置いた。そのラジオは各メーカーがいくつかのトランジスタを内部に組み込めるかで争っていた頃の年代物で、薄汚れた白い医療用テープでぐるぐる巻きにされていた。私はゆっくりと、テープを剥がしにかかった。何層にも巻かれたテープを取り除くと、ラジオの裏ぶたがぽろっと取れ、そこには赤い埃の塊がくっついていた。本体の内部は、電池から漏れ出した液と腐食でぼろぼろだった。私はラジオを見て、婦人の顔をうかがい、もう一度ラジオを見た。私は後ろに手を伸ばし、処方薬のようにぶらさがっていた高価なアルカリ電池を手に取った。金箔押しのブラスチックケースから、光り輝く9ボルト電池を取り出す。そして店の箱から真新しいトランジスタラジオを持ってきてアルカリ電池を入れ、使い方を教えながら彼女お気に入りのラジオ局に合わせた。婦人は1セントも支払わず、一言の挨拶もなく立ち去った。畏敬の念に打たれる、とはある意味こういう事かもしれない。

バッハはその感情の源泉について非常に明確な意見を持っており、B-A-C-Hとは別に、2つの略語を彼の音楽と関連付けている。曲の中に隠すのではなく楽譜の、誰もが見られる場所に走り書きしたのだ。その語とは、SDGおよびJJ。SDGはラテン語の「ただ神にのみ栄光を(Soli Deo Gloria)」を略したもの。JJも同じくラテン語で「主よ御救いを(jesu Juva)」を縮めたものである。バッハの数々の名曲は「永遠なる存在の一解釈として(ラテン語:sub specie aeternitatis)」書かれたという。彼はスポンサーを喜ばせたり大衆の人気を集めたりするためだけでなく、賛美の心を表すために作曲をしていたのである。彼はかつてこう書いている「音楽の目的とは、主の栄光を表現し、魂に安らぎを与えることに他ならない。そのことを忘れた音楽は真の音楽でなく、うっとうしくわめき立てる騒音と相違ない」大切なのは、あなたの心を動かした気持ちを何と呼ぶかではなく、心が動かされた事実そのものだ。畏敬の念は、宗教の基盤である。人がひとりでできることの限界を突破する、唯一のモチベーションである。それがなければ、フーガの技法も生まれなかった。コンピューターゲームの歴史は、まだ40年ほどにすぎない。確立された基礎用語もわずかなものだ。まだまだたくさんの概念が、言葉にされるのを待っている。道は誰にでも開かれている。そう遠くない将来、おそらく私達が生きているうちに新しいゲームデザインが彗星のごとく現れ、私達の文化に影響を与えるだろう。登場すればすぐに分かるはずだ。それは呆れるほど奔放で大胆な創作力をもって作られる。学者らは何十年、いや何世紀もの間、厳しい評価をつきつけるだろう。それでもそれは、素晴らしいものだ。同時に恐ろしくもあり、畏敬の念に満ちたものでもある。

数年前、私はロンドンでの集まりに招待され、スピーチをすることになった。妻と共に、観光もしようと1日休みをとった。ロンドン観光ではなく、イングランドで2番目に旅行客を惹きつける場所、ストラトフォード=アポン=エイボンを訪問するためだ。電車が着いた時、外は寒く、雨も降っていた。だが幸運なことに、目当ての場所の大半は、駅から少し歩くだけの所にあった。私達は、何年何虐万もの旅人を惹きつけるメインストリートに沿ってシェイクスピアの生誕地や、お洒落な古い家屋を訪ね歩いた。ただし、シェイクスピアが本当にそこで生まれたことを示す証拠は何もない。それどころか、この辺りに住んだことがあるかどうかも定かではない。シェイクスピアが読み書きを習った学校の側も通った。これもまた、そこに彼が通っていたことを証明する資料は何もないが、シェイクスピアの妻であったアン・ハサウェイの別荘も訪れた。彼女はこの素朴な農園で、少女時代を過ごしたという。そういう名の住人がいたことを示す記録は何もないのだが。最後に私達は、こればかりは疑いようのない、シェイクスピア関連の場所に向かった。エイボン川のほとりにあるトリニティ・パリッシュ教会。ここに、彼が埋葬されている。教会までたどり着くには長い小道を歩く必要があったが道の両脇には、古びて草木に覆われた墓石が並んでいた。玄関のドアは驚くほど小さい。カメラの持ち込みは禁止されている。中は暗く、静かだ。他にバス旅行の団体客がいるにもかかわらず、そこには静寂と気品が満ちていた。何人かが礼拝堂のベンチに腰掛け、深い祈りを捧げていた。側廊を上ると教会の中心に行ける。祭壇の左側が明るく照らされ、壁の上の方には、羽ペンを持った件の詩人の胸像が掲げられ穏やかに旅人の群れを見つめている。真下の床には、花束に囲まれた墓石がある。デリア・ベーコンから正気を奪った、ウィリアム・シェイクスピアの墓石だ。そこには重要な注意書きが書かれている「親愛なら皆様、決して周囲の地面を掘らないでください。永遠の眠りを静かに見守ってくださる方に祝福を。私の骨に手を掛けるような輩には呪いを」。毎年、300万人ほどの旅人が世界中からやって来て畏れ多い、としか言いようのない一連の作品群を遺した男の墓に近づき、肖像をじっと見つめる。反対に、祭壇の右側は暗くて、見るべきものも何もないようだ。誰か重要な人物が葬られているわけでもない。興味を引くとすればただ1点、濃色のオーク材を彫刻して作った木製のシンプルなケースだろうか。ケースの中には分厚いガラスが張られ、その下に大きく開いた本が収められている。ケースに置かれたプレートを読めば分かるのだが、これはジェームズ王聖書の第1版である。出版されたのは1611年、シェイクスピアが46歳の頃だ。祭壇の右側までやって来る旅行客は少ない。来ても大半の人々は、聖書をちらっと見てプレートの説明を読み、さっさと次に行ってしまう。観察力のある少数だけが、次の事実に気づくのだ。開かれている聖書のページは、旧約聖書詩編第46篇。どうしてここが開かれているのか、説明書きは言及していない。もっとも、イースターエッグハンター達に説明は不要だろう。もしあなたが好奇心旺盛なタイプだった李、真っ当な英文学や歴史に興味を抱いていたり、あるいは心の平安を重んじる人ならば、悪いことは言わない。ここで読むのをやめた方がいい。

1900年、ある学者がジェームス王聖書翻訳本の詩編46篇を読み「それ」に気づいてしまった。同時に恐ろしくもあり、同時に素晴らしいことでもある…詩編46篇の最初から46番目の単語は"shake(シェイク)"で、最後から46番目の単語は"spear(スピア)"だったのだ。考えられる可能性は2つ。全世界の文学史上最もナイスな単なる偶然。もしくは、必然か。

地球が公転するのは太陽の周りだけで、月も1つしかない。月は太陽の400分の1ほどの大きさしかないが、太陽と地球の距離は、たまたま、月より400倍ほど遠い。そして地球から眺める空において、太陽と月の軌道は見かけ上月に2回交差する。長いが完全に予測可能なインターバルで月の影が時折、太陽の面をすべっていくのだ。ぎりぎりのところで数分だけ、太陽を覆い隠しながら、素晴らしく、同時に恐ろしくもある数分間。ナイスな偶然ではないか。なあ?

1977年6月、発想力と茶目っ気あふれるひとりの職人が、イギリスのアンプトヒル村にある丘を登って行った。丘の上には細長い十字架がある。ヘンリー8世の最初の妃、キャサリン・オブ・アラゴンを記念するものだ。太陽は南の空高く昇り、草むした丘の中腹に十字架の陰を投げかけている。正午、彼はポケットから棒磁石を取り出し、N局が南を向くようにして十字架の陰の下にそれを埋めた。2年後、自分の制作した初めての本が出版される数時間前、真夜中に彼はあの丘に戻った。方位磁針を使い、埋めておいた磁石の場所を見つけ出す。「永く待ったが、よくぞ見つけてくれた。『仮面舞踏会』宝石の番人より」

 

(最後の画面)

Presented 23 March 2002 Game Developers Conference San Jose, California

Music of Johann Sebastian Bach Die Kunst der Fuge, BWV 1080 (1751)

Narration recorded by Bruce Mattson Instrument modeling by Modartt

Copryright © 2002, 2016 Brian Moriaty All rigths reserved

 

(20340文字。ノーチェック)

 

2万文字くらい。これだけで3時間ぐらいかかったネー。なぜか書き起こしやってしまったが、後日自分自身で内容を振り返りやすくなるので良かったろう。そしてこの前の映像のおじさんと違って話が面白かったので、こっちの方が苦ではなかった。嘘、人名とかが多くて変換が打ちづらくて辛かった・・・。

まず書き起こして気付くことのどうでもよいこととして、ブラスチックはプラスチックの誤記だな。あとジェームスとジェームズも表記揺れが多いね。

内容について。要素が多すぎるので、自分が印象に思ったところとかを。

  • 仮面舞踏会のところ。謎解きは人を熱狂させる。ゲームでそれはイースターエッグとして利用されていた。
    • 俺も昔からゲームの裏技とか、意味のないメッセージや遊び心は面白いと思うタチ。だからここまでこのゲームもやってしまったのかもしれない。
  • サンタクロースを、ゲマトリアを使って6の倍数を使って合計すると666になる!
    • 陰謀論者やイルミナティとかが好きそうなやつ。発見自体は面白いよね。18782(いやなやつ)*2で37564(みなごろし)とかと同じで言葉遊びと思う。この人たちもニューヨーク当てはめたりしておちょくってたけど。
  • バッハについて
    • そんな秘密があったの知らなかった。本当か知らんけど面白い。音楽に造詣が深かったら他にも色々と思うことがあるのかな。
  • シェイクスピア別人説。伝承の人物像と成果が結びつかない。
    • これは陰謀と片付けるには違和感が多く懐疑的に思うのは致し方なく思う。では、先の陰謀論との境界は何だ?グラデーションもあるのだろうが、因果関係に疑念を持つのは正しいと思う。相関関係だけで他の事象を因果関係に当てはめるのは間違っている。特に、相関関係を示すものが暗号とかの言葉遊びだと残念な感じが増す。そういうのはフィクションだけで十分だネー。再現できないところ、昔は査読がなかったのかな。おおらかですねー。
  • 畏怖のすごさと、イースターエッグについて
    • 平凡なゲームに不自然なイースターエッグを入れても面白くならんぞ!ってところニヤっとしてしまった。「畏怖されるほど素晴らしいものは、おまけの力などに頼らない。畏怖されるほど素晴らしいものは、豊かで人を喜びに沸かせる。」良いですね。そういうゲームを俺もプレイしたい。
  • ラジオの婦人
    • この話が畏敬の念に打たれるって結論が全然意味わからなかった。講演者はイギリス人ぽいし皮肉のジョークかな?非常識で怖いって。
    • アルカリ電池何で使ったのかもよくわからなかった。
  • シェイクスピアの墓のジェームズ王聖書。詩編46篇の謎について
  • 皆既日食について
    • 映像に唯一長時間出てたね。何年か前、金環日食があったな。あの騒ぎは楽しかった。本当に、ナイスな偶然ではないか。物理法則がそのまま当てはまったからの必然なのか、俺には分からないけど。
  • 仮面舞踏会の最後の場所について
    • 棒磁石はよくわからんかったし、キャサリン妃も知識がなさすぎて何も・・・。Wikipediaとか読むの時間かかりそうなので今日はパス。ただ、正解はちゃんと用意されてたのね。
  • この講演について

聞いての総括。The Witnessのチャレンジを超えた先にこれを出してきたというのには、他の動画よりも強めの意味があるように感じた。今まで見つけてきた、神の要素、物理の話、何か言いたげな偉人のレコーダー、そしてチャレンジゾーンにある裏話的なレコーダー。これらがただのイースターエッグなのか、ちゃんと意図した暗号の秘密なのか、それともたまたまの偶然なのか。どう思うかは、今プレイしているあなた自身ということかもしれない。ここまでの作りに、ここまでチャレンジを乗り越えてきたプレイヤーにとって、畏怖を覚えるほどの惹きつけるものはあったか。「永く待ったが、よくぞ見つけてくれた。」のエンディングで見るThank you for playing感。うん、面白かったよ。以下で書いた仮説に対しての変更は特にないかな。お前が考えたならそれでいいや感ある。

The Witnessプレイ日記(20) - ymddmy’s diary

 

513クリア +111 +1 で開始。

518クリア +112 +1 で終了。

 

プレイ時間:3時間+まとめ4時間(累計88.5時間)